卒業生とその進路

指紋画像復元を行なうアナログ反応拡散チップに関する研究


加藤 博武

2001 年度 卒 /修士(工学)

修士論文の概要

本論文は、生命,自然現象に現れる形態生成能力を利用して、欠陥やかすれを有する指紋画像の復元・修復処理を行なうアナログ集積回路の研究に関するものである。

現在の指紋照合システムは主に入力された指紋画像を細線化処理し、その画像とあらかじめ登録された原画像の端点や分岐点とのマッチング, または入力画像と登録原画像とのマッチングを行なうことによって照合を行なう。しかし入力画像に欠陥やかすれ等があると精度の劣化が生じるため、高精度の判定を行なうには入力指紋画像の復元・修復処理が重要となる。逐次処理型の通常のコンピュータを用いた場合このような処理は非常に負荷がかかるため、並列処理型の新しい情報処理システムの開発が期待されている。

反応拡散系は自然・化学反応における反応拡散現象を表す系であり、実時間で処理を行なう並列システムの一種である。本研究では反応拡散系を人工的に模擬したデバイスを開発し、反応拡散系のもつパターン生成能力, 自己修復機能, 並列性を利用した新しい並列画像処理システムを構築する。さらに反応拡散系に見られる縞状の空間パターンの発生原理を利用して、かすれや欠損を有する指紋画像を復元・修復を行なうアルゴリズムを提案する。さらにこのアルゴリズムを適用できるデバイスを構成し、指紋画像の復元・修復処理を行なう。

本研究では反応拡散系を人工的に模擬するために、反応拡散モデルをシリコンチップ上に具現化した「反応拡散チップ」を提案する。反応拡散系は化学反応と反応物質の拡散を表す偏微分方程式(反応拡散方程式)によって記述することができる。提案する反応拡散チップはリアルタイムに反応拡散方程式を解くものである。反応拡散チップは反応拡散系における物質濃度をチップ内部の物理量(電位や電荷量など)で表し、反応拡散現象をチップにおける物理量の分布で表す。反応拡散チップは化学反応を模擬する反応回路と反応物質の拡散を模擬する拡散デバイスを基本要素回路とする。反応拡散チップを用いて情報処理を行なう場合、入力する情報(例えば画像など)の大きさに応じて、模擬する反応拡散系の空間規模を大きくする必要がある。チップが模擬する反応拡散系の空間規模はチップに搭載する反応回路, 拡散デバイスの数によって決まるため、大きな空間規模を持つ反応拡散系を模擬するためには多くの反応回路, 拡散デバイスが必要である。このためこれらの回路をコンパクトに構成する必要がある。反応回路をアナログCMOS回路の持つ非線形性を巧く取り入れて回路実装し、非常にコンパクトな回路構成を実現した。

本論文で提案する指紋画像の復元・修復アルゴリズムは、反応拡散系の有する縞状パターンの生成能力を利用したものである。そこで縞状パターンを発生する反応拡散系をアナログ回路実装し反応拡散チップを設計した。縞状パターンを発生する反応拡散チップの構成方法として、まずWilson-Cowan神経振動子モデル(大脳皮質内の神経細胞モデル)を反応モデルとして反応拡散系を構成し、縞状のパターンを生成する反応拡散チップを構成した。Wlison-Cowanモデルを回路化して構成した反応拡散チップに指紋画像の復元・修復処理アルゴリズムを適用し、欠陥やかすれのある指紋画像の復元・修復処理を行なう。本研究ではまず始めに2つの手法により、Wilson-Cowanモデルをコンパクトな構成で回路化した。Wilson-Cowan回路の基本動作をシミュレーションと試作チップにより確認した。さらにWilson-Cowanモデルを用いて反応拡散系を構成すると、系が縞状のパターンを発生し、指紋画像の復元・修復能力アルゴリズムが適用できることをシミュレーションによって確認した。これらのシミュレーションおよび測定結果から、Wilson-Cowan回路を用いて反応拡散チップを構成すると指紋画像の復元・修復処理が可能となることが分かった。

また指紋画像の復元・修復処理を行なう反応拡散チップを構成するもう一つの反応モデルとして、Volterraモデル(生体の競合における反応拡散系のモデル)の回路化を行なった。Volterraモデルを反応モデルとして反応拡散系を構成した場合もWilson-Cowanモデルと同様に縞模様を生成することができる。Volterraモデルを回路化して反応拡散チップを構成し、指紋画像の復元・修復処理を行なう。Volterraモデルを回路化はMOSトランジスタの持つ非線形電流特性を用いることで容易となる。この回路の基本動作を試作チップによって確認した。またVolterra回路を用いて反応拡散チップを構成すると、初期値に応じて縞状の定常パターンが発生することをシミュレーションおよび試作チップによって確認した。

これらの結果より提案したWilson-Cowan反応拡散チップは欠損やかすれのある指紋画像を初期パターンとして入力した場合、輪郭を強調し欠陥やかすれを除去した定常パターンを発生することが分かった。また、Volterra反応拡散チップは微小な差のある初期電位分布から縞状のパターンを発生することが分かった。この性質を利用すると縞状のパターンを入力した場合、縞模様を強調した定常パターンを発生すると考えられる。以上のことから、これら2つの反応拡散チップは指紋のような縞画像の復元・修復処理を行なう並列情報処理システムに適用可能であることが分かった。提案した反応拡散チップは、高速の指紋照合システムを実現する上で非常に有用となる指紋原画像の復元を行なうプロセッサとなりうる。

国際会議

  1. Watanabe S., Hagiwara N., Shibakita H., Zhou Y., Kato H., and Akai-Kasaya M., "Study of synaptic PEDOT:PSS wire in electrolyte solutions," The 36th International Microprocesses and Nanotechnology Conference (MNC 2023), Keio Plaza Hotel Sapporo, Sapporo, Japan (Nov. 14-17, 2023).
  2. Kato H., Shimaya S., Fujimoto K., Kameda T., Tran H.T., Takamaeda-Yamazaki S., and Nakashima Y., "CPU Meets VR: A scalable 3D representation of manycores for behavior analysis," 4th International Workshop on Computer Systems and Architectures (CSA 2016), Higashi Hiroshima Arts and Culture Hall, Hiroshima, Japan (Nov. 22-25, 2016).
  3. Asai T., Kato H., and Amemiya Y., "Analog CMOS implementation of diffusive Lotka-Volterra neural networks," INNS-IEEE International Joint Conference on Neural Networks, P-90, Washington DC, U.S.A. (Jul. 15-19, 2001).
  4. Kato H., Asai T., and Amemiya Y., "Reaction-diffusion neuro chips: analog CMOS implementation of locally coupled Wilson-Cowan oscillators," Proceedings of the 5th International Conference on Cognitive and Neural Systems, II-#41, Boston, U.S.A. (May 30-Jun. 2, 2001).

国内学会

  1. 渡部 誠也, 萩原 成基, 柴北 洋明, 周 陽, 加藤 浩之, 赤井 恵, "PEDOT:PSS ワイヤーシナプス素子の導電挙動に電解質イオンが及ぼす影響," 第84回応用物理学会秋季学術講演会, 熊本城ホール, (熊本), 2023年9月19-23日.
  2. 加藤 弘一, 丸亀 孝生, 西 義史, 三谷 祐一郎, "不純物・欠陥によるS原子ペアーのショットキー障壁変調への影響," 第61回応用物理学会春季学術講演会, 青山学院大学相模原キャンパス, (相模原), 2014年3月17-20日.
  3. 丸亀 孝生, 吉木 昌彦, 西 義史, 加藤 弘一, 三谷 祐一郎, "NiSi/Siショットキー障壁を変調する硫黄不純物の電子状態解析," 第61回応用物理学会春季学術講演会, 青山学院大学相模原キャンパス, (相模原), 2014年3月17-20日.
  4. 加藤 弘一, 丸亀 孝生, 西 義史, 三谷 祐一郎, "S原子ペアーがピニングでショットキー障壁を消滅させる機構," 第74回応用物理学会秋季学術講演会, 同志社大学京田辺キャンパス, (京都), 2013年9月16-20日.
  5. 加藤 弘一, 丸亀 孝生, 西 義史, 三谷 祐一郎, "Siを金属化させるS原子ペアーの電子構造," 第60回応用物理学会春季学術講演会, 神奈川工科大学, (神奈川), 2013年3月27-30日.
  6. 丸亀 孝生, 山内 尚, 西 義史, 佐々木 智一, 木下 敦寛, 古賀 淳二, 加藤 弘一, "第一原理計算に基づく金属/半導体接合での超低抵抗化技術の実現," 第70回応用物理学会学術講演会, 富山大学, (富山), 2009年9月8-11日.
  7. 丸亀 孝生, 山内 尚, 西 義史, 佐々木 智一, 木下 敦寛, 古賀 淳二, 加藤 弘一, "第一原理計算によるNiSi/Si接合の熱安定性と低界面抵抗を実現するPt含有効果の解析," 第56回応用物理学関係連合講演会, 筑波大学, (つくば), Mar. 30-Apr. 2, 2009.
  8. 加藤 弘一, 丸亀 孝生, 西 義史, 木下 敦寛, "NiSi/Si接合中で働くPtと不純物原子の強い相互作用," 第56回応用物理学関係連合講演会, 筑波大学, (つくば), Mar. 30-Apr. 2, 2009.
  9. 丸亀 孝生, 山内 尚, 加藤 弘一, "第一原理計算によるNiPtSi/Si界面での不純物高濃度化の検討 東芝研究開発センター," 第55回応用物理学関係連合講演会, 日本大学理了等認絡橋キャンパス, (千葉), 2008年3月27-30日.
  10. 加藤 博武, 浅井 哲也, 雨宮 好仁, "非一様な空間構造を自己生成するVolterra反応拡散チップの開発," 電子情報通信学会ソサイエティ大会, (東京), 2001年9月.
  11. 加藤 博武, 浅井 哲也, 雨宮 好仁, "画像のラベル付けを行うLotka-Volterra拡散振動系のCMOS回路化," 電子情報通信学会総合大会, (滋賀), 2001年3月.
  12. 浅井 哲也, 加藤 博武, 雨宮 好仁, "超低消費電力CMOS神経振動子ネットワークのアナログ集積回路化," 電子情報通信学会 ニューロコンピューティング研究会, NC2000-154, (玉川), 2001年3月.
  13. 加藤 博武, 浅井 哲也, 雨宮 好仁, "CMOSデバイスの非線形特性を利用した反応拡散システム〜Wilson-Cowan型回路とLotka-Volterra回路," 電子情報通信学会 非線形問題研究会, NLP2000-81, (京都), 2000年10月.
  14. 加藤 博武, 浅井 哲也, 雨宮 好仁, "非線形振動子を用いた反応拡散回路 I :Lotka-Volterra型振動子," 電子情報通信学会ソサイエティ大会, (名古屋), 2000年9月.
  15. 加藤 博武, 浅井 哲也, 雨宮 好仁, "視覚対象に追従するアナログ電子回路の試作と評価," 電子情報通信学会総合大会, (広島), 2000年3月.